モノクロームフォトに感じる魅力と違和感
デジタル一眼でもスマホでもどっちでもいいのだけれど、最初からモノクロモードに切り替えて写真を撮る人ってどれくらいいるのだろうか。ふつうはカラーのままで撮って、あとでモノクロ写真に加工していると思う。この写真もそうだ。
カラー写真のモノクロ化は画像加工のひとつの方法ではあるけれど、何かしっくりこない時がある。
話を少し昔にもどすと、フィルムカメラの場合だとカラーフィルムを入れるのか白黒フィルムを入れるのか、最初に選ばなくてはいけない時代があって、もっと前になると白黒フィルムしかなかったわけである。
その時代に写真を撮っていた人は、なぜこれに色が出せないのだろうと考えていたはずだ。女優さんを撮るカメラマンは、その美しさを色で表現したかっただろう。風景写真を撮る写真家は、自分が感じたその感動を写真の中に見つけることができただろうか。
戦後あたりからカラーフィルムが普及して、身のまわりから急速に白黒写真が消えていったわけだから、白黒写真はそれほど必要とされていなかったと思う。
よく考えてみれば白黒写真は不自然である。
赤いバラは黒く写り、青空は灰色に変わってしまう。もし過去にさかのぼり白黒時代のカメラマンにデジカメを渡したら、彼らはモノクロモードを選択するだろうか。
運動会で、もしモノクロモードだけで子供の写真を撮ったりしたら、奥さんからビンタが飛んでくるはずだから世界中のパパはカラーで撮ることになっている。・・・と思う。
だから白黒写真はそれほど世の中に受け入れられてはいない。
ときどき白黒写真はノスタルジックだから魅力的だと言う人もいるけれど、白黒だからと必ずしも過去を感じたりはしない。最近撮られた白黒の人物写真に感情を揺さぶられてしまうこともある。モノトーンなアート写真につい見入ってしまったりもする。
自分自身でなぜモノクロに加工するのかよく分かっていない。どちらかと言えばどう加工していいのか分からず、ごまかしているだけなのかもしれない。それでも白黒写真は好きである。