スキヤキソングとベビーメタルから考察するJ-POP

bab01

それは、これまでのようにちょっと流行の音楽として、聞き流していたはずだった。しかし混乱している。自分の中でどう整理していいのか分からない。なぜそうなったのかもよく分からない。

 

bab02

アニメソングのように聞きなれたメロディーなのに、そのバックバンドのビートに圧倒され、そして歌が始まったと同時に驚愕した。最初はふざけるなと激高したが、どういう訳かよく聴いている。と言うより頭の中であのリズムが何度も勝手に繰り返されてしまう。

 

bab03

ロックとの出会いはディープパープルが初めてだった。それは何か反社会的で、意味もなく同調したくなるような暴力性があった。ヘビーなビートは人間の思考を一時的に麻痺させてしまう力を持っている。

 

bab04

なぜロックやメタルに「あの特殊なキャラ」が入り込んでくるのだろうか。それは許されるものなのか。あるいは許容しているものが何で、それを仕組んだのは誰なのか、と幾つもの疑問が沸きあがってくる。

 

bab05

それはネットから発生した偶然の産物なのかもしれない。たまたまキャラに合致した個性があって、思いのほかライブが盛り上がり、振り付けにいたっては、あろうことかメロイックサインを知らなかったため、思いつきでキツネサインにしてしまった。それらが世界中に拡散するほどの計画性があったとは、どうしても考えられない。

 

bab06

もしこれがエンターテーメントビジネスとして、緻密に進められている戦略であるのなら、今までにないビジネスモデルになるはずだ。事実、完璧なほどにトップスターへの道を進んでいる。

 

bab07

考えれば考えるほど思考が停止してしまう。もう「降臨したキツネ様に導かれている」と解釈する方が何も悩むこともなく、いや、あるいはもっと説得力があるのかもしれない。

 

この現象に激しいほどの拒絶反応を示している人たちがいる。これまでハードロックやメタルを心から信仰してきた人達だ。しかし、ロックが反社会性を持って生まれた必然性を考えれば、このグループが否定される事がロックでありメタルであると言える。

だからこの流れは変えられないだろうし、時間の経過と共に多くのロックファンが応援してくれると信じている。そしてJ-POPは新たな局面を迎えていると予感している。

 

かつて、海外で有名になった日本人歌手の中で、日本語の歌詞のままで歌っていた坂本九さんがいる。名曲の「上を向いて歩こう」は、なぜか「スキヤキソング」としてアメリカでヒットした。あの優しく語りかけるメロディーが、欧米人にも心地よく伝わり、つい口ずさめたのだろう。

彼女達もまた日本語の歌詞のまま世界中でライブを行なっている。いつの時代も若者言葉は意味不明だった。それが歌詞になってしまうと日本人でもうまく聞き取れない。それは外国人にしても同じ事で、時代を変えて激しいビートと同化してしまった。

ベビーメタルを聴いてはいけない。そのビートの呪縛から逃れるのは著しく困難である。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です