アメリカから狭小住宅について考える
当初二年の滞在のつもりでやってきたアメリカは、気がつくともう十年以上もの月日が経ってしまっている。 五年くらい前からだろうか、日本へ帰ることを意識するようになってきた。そんなとき、今住んでいる家をどうするのか、あるいは日本のどこに住んで、賃貸にするのか持ち家にするのか、一戸建てかマンションかなど、色々なことが頭の中を駆け巡っている。それにあまり考えたくないが日本で就職できるかという問題もある。
できればアメリカと日本を適度に行き来するような生活がしたい。現状では無理だけど可能性がない訳ではない。一時期は田舎に300坪くらいの安い土地を買って、自分で家を建てようとまで考えていた。正確にはまだその延長線上にあるが、基本はローコストでちょっと不便だけど普通に生活できるような環境がのぞましい。
例えば仕事をしていて安定した収入がなければローンは組めない。だから日本に帰っても無職の私が家を買うなんてことは不可能である。
しかし平屋のこじんまりとした家なら、それほど経済的に負担にならないだろうし、税金も安いだろう。それから自分で建てる家なら保険もいらない。小さけれ小さいほど、色々な面で負担は減るだろう。
では経済的な問題をクリアできたとして、小さな家に住めるのかどうかと考えるとしばし立ち止まってしまう。でも過去にいくつかヒントがあった。私はそれまで大きな家に住んだことはないし、当時は狭いからと困ってもいなかった。アメリカに来てから「狭い、小さい」は悪い事と思い込むようになってしまった自分に気がつく。
九州には5年住んでいた。そのうちの三年を過ごしたアパートは6畳の部屋が三つ、小さなキッチンにトイレと風呂がついていた。6畳の部屋にはそれぞれ一人が入居していて、今で言うシェアハウスみたいなものだった。
自分のスペースは6畳だけなんだけど、私はずいぶんとその部屋を気に入っていた。二階のその部屋には大きな窓が二つあって、明るく風通しがよく、夏でもエアコンも扇風機も必要なかった。そして小さなストーブがあれば、沖縄生まれの私でさえ冬が待ち遠しくなるほど暖かかった。
そのアパートは建坪でおよそ八坪だった。それで他人同士の三人が住んでも特に問題はなかった。家族であれば、例えば五人だと少し窮屈かもしれないけど普通にやっていけるだろう。
そういう訳で九州で住んでいた八坪住宅を原点に考えながら、日本で生活できる狭小住宅を夢見ていきたいと思う。きっと「狭くて小さい」は、サイフにも環境にも優しいと考えている。
http://ftechcom.blogspot.com/2013/02/futuristic-architecture-tiny-homes.html