【コロナ禍の今リモートワークを考えてみる】旅先で見つけた二拠点生活の答え

高速バスにのり東京へ 梅雨入り前の信州

何年も前から、アメリカと日本に二つの生活拠点を持ちたいと願っていた。どこにいても仕事ができるならこんな素晴らしいことはない。ここ最近は、ほぼ一年の半分を首都圏で過ごしている。だからといって積極的に日本での住まいを探していたわけでもなく、かといって漠然と過ごしていたわけでもない。目の前に現れる色々な出来事に取り組んでいるうちに、いつの間にかこれから先の答えが出ていた。

つまり「日本では家を持たない方がいい」それが答えだった。

日本の社会には目に見えない閉塞感があった。それは小さな不満の集合体のようなものであり、通り雨のようでもあったから、住めば慣れるようなものでもある。もちろん決定的に何か自分に合わないものがあったわけでもない。

日本で過ごしていた時間は、目的地のない旅をしているようなものだった。放浪とは帰る場所のない移動であり、旅は日常を離れて元いた場所に帰る行動である、ようなことを何かで読んだことがある。日本にいる間は、ずっと自分はカリフォルニアに戻るのだと意識していたし、帰る場所といえばそこしかない。しかし、物理的に家があるから帰る場所なのかというとそれも違うような気がする。

日本は自分の国だというのに、どこに行っても何をしていても帰属するような感覚はうまれてこなかった。住みやすそうな街に出会っても「よそ者」でしかない自分に気づかされる。いつか南阿蘇で田舎暮らしがしたいと考えていたときも、景色や気候が恵まれていることが魅力であっても、前向きにその土地に帰属するような気持ちはうまれてこなかった。

もしかしたら、産まれた土地が故郷だなんてことは、単なる思い込みでしかないのではないだろうか。あるいは、どれほどの人が自分の生まれた土地に愛着を持っているのだろうか。ほとんどの人が、自分で住みたい土地を選んでいる訳でもあるまい。たまたまその場所に仕事があったから、嫁いだ先だった、ようなことだろう。帰属しようという意識はないのではないだろうか。そもそも「帰属すること」は必要なのだろうか。

それに、あれほど日本中を旅したいと思いながら、どこかで気持ちが冷めているのを無理やり気がつかないようにしていた。その一方で、カリフォルニアに帰ったら妻とおしゃべりしながらゴハンを食べようとか、ネコをひざにのせて本を読みたいとか、屋根の修理をしなくちゃとか、退屈だけれど穏やかな日常に気持ちが向いてしまう。

結局、日本に住まいを見つけたとしても、それは空っぽの建物でしかないわけで、誰かが待ってくれているわけでもない。たとえリモートワークが可能であっても「日本では家を持たない方がいい」生活の拠点はひとつでいいのだ。自分でも意外な答えがそれだった。

「まだ東京で消耗しているの?」ホント東京は絶句するほど不便な街だった