「家を買うやつはバカ」というバカな人たちに分からないこと
ネットで「家を買うやつはバカ」と発言している有名人をみかける。
結論から言えば「家を買うやつはバカ」と言っている人達がバカなんだろう。またそれにのせられて家を買わない人たちもバカだと言わざるを得ない。なぜなら、無責任な発言に振り回されてしまう人は、自分で物事を判断することを放棄している。歳をとって若いときに家を買っておけばよかったと後悔しても戻れない。
これまでアメリカと日本の二拠点生活を模索していたが、日本では家を買わないと決めた。かといって「家を買うやつはバカ」という人達の影響を受けているわけではない。なぜならいま住んでいる家は持ち家だし、カリフォルニア賃貸住宅の高騰をみていると無理してでも買っておいてよかったと日々感じている。
たとえば、日本はこの先、都市部を除いて不動産価値は上がらない、少子高齢化の日本において不動産は資産としては期待できない、だから家を買うべきではない。これが「家を買うやつはバカ」と言っている人達の理論だ。
しかし、アメリカでの生活をすべて終わらせて、日本に住まいを構えるとしたなら間違いなく家を買うだろう。なぜなら、借り物ではない「心地よい居場所を見つけること」の素晴らしさを知ってしまったからである。それはたとえ古い物件でも構わなくて、必要に応じて修理しながら自分のライフスタイルに合わせて、キッチンやお風呂を作りかえていけばいいと考える。
ある人が地方のどこかで古い家を手に入れて、おだやかな日々の暮らしをブログに綴っている。一時間に一本くらいの駅から少し離れたどこにでもある昭和の家なので、安く手にいれたのだろう。数十万かあるいはゼロ円物件だったかもしれない。都会ほど便利ではないかもしれないが、遠くに山を眺めるネコとの暮らしは豊かである。その人はきっと自分なりの心地よい場所を見つけたのだと想像している。
ある家族は、地方に移住するため古い民家を借りうけ、自治体から移住支援を受けながらせっせと修理し、理想の田舎暮らしを築き上げるすん前に家主から追い出された。なぜ借りた物件に自分の時間と労力をつぎ込んだのか分からないが、もし「家を買うのはバカ」と信じていたのなら悲しい話である。
家を買うかどうかの本質は「居心地のよい場所」を見つけられるかどうかだと思う。一人で暮らすにしろ、家族で過ごすにしろ、いつでも帰る場所があって誰にも邪魔されず安心していられる場所である。そういう家なら資産価値が下がっても気にならないし、「家を買うバカ」と言われても気にならない。
それにしても、日本に家を買わないと決めているにも関わらず、ときどき地方にある中古物件を眺めていたりする。やはり生まれ育った日本は恋しいのである。