超狭小住宅なBライフ小屋暮らしもモバイルな方丈庵も普通に生活するにはムリっぽい現実

最近話題?の小屋暮らしってどうなん

前回、京都の町家から現代の狭小住宅の住まいについて考えてみた。その過程で、街中の2DKアパートで十分じゃないかという方向に進んでいる。でもその前に、さらに面積を六畳まで狭くして話題になっている小屋暮らしについて考えてみたい。

以前、田舎に安い土地を買ってセルフビルトで家を建てたいと考えていて、建築プランもほぼ出来上がっていた頃、日曜大工のようにハンドツールだけで小さな家を建てた毎年寝太郎氏の存在を知った。

これは目からウロコだった。こんな簡単な方法があったのかと衝撃的でさえあった。これなら面倒な設計や法的申請なんてものをすっ飛ばして、それこそ行き当たりばったりで家が建てられる。六畳は確かに狭いが、例えばリビング、キッチン、風呂とトイレを個別に三棟建てればいいんじゃないかとも考えた。(実際には10平米以下でも法的制限を受ける)

この方法であれば誰でも安価に家を建てることができる。ローンに振り回される事もない。街中ではたぶん無理だけど郊外や別荘地、あるいは過疎の村など活用できる土地はいくらでもある。車さえあればちょっとくらい不便でも悠々自適に暮らせるのではないだろうか・・・

念のため、寝太郎氏の小屋暮らしは寝たいときに寝られて、好きなだけ本を読むというBライフ達成の手段であって、目的ではないらしい。でも気楽に生活しているようでも厳しい状況がブログから伝わってくる。

田舎暮らしの夕暮れ
【山のふもと夕暮れの情景】 田舎暮らしの妄想と現実が複雑に交錯

セルフビルド小屋暮らしから学んだこと

田舎暮らしをひとつのライフスタイルとして考えたとき、私の中では、例えば週末を過ごすための別荘や定年退職した方のセカンドハウスは参考にしなかった。それらは仮住まいであり趣味やレジャーであると思えたからだ。むしろ自分で小屋(ログハウスではない)を建てて、そこで生活している人の方が何か新しい生き方を模索しているのではないだろうか。

これまで私の周りで、こんな風に生活している人はいなかったし、あるいは20代で土地と家を手に入れようという大胆な発想はなかった。だからよくぞこんなにも大きな決断ができるものだと驚いている。

話は少しそれるが昭和の終わりに、ある家で長年使っていた五右衛門風呂から普通のガス風呂に変えたそうだ。そうしたら家族の中で一番喜んだのはその家のお婆さんで「もう風呂焚きしなくていい」と小踊りしたそう。

小屋暮らしにはおよそ水道も電気もない。あっても消費を抑える究極的エコスタイル。そしてトイレもお風呂もない。私は「北の国から」のファンで、黒板五郎さんが理想とするような生活環境がそこにあるように思えた。純は五郎さんに無理やり六郷での生活を強いられていたけれど、蛍はむしろ喜んでそんな生活を受け入れた。それを実践する人たちがここにいる。

だから自ら思考錯誤しながらそんな生活を送っている人たちが実在しているなんて嬉しい。環境に対する意識も高い。

けれども、この生活がずっと継続できるのかと考えたとき、難しいだろうと考えざるを得ない。私は風呂焚きから開放されると喜んだお婆ちゃんの本音を尊重したい。現代人にとっての住まいを考えたとき、ある程度の広さと雨風や寒さに耐える建物、そして普通に水道と電気は必要ではないだろうか。

もうひとつ、誰からも束縛されずに生きようとした時、その「小屋」が必要なのかという素朴な疑問が生まれてくる。小屋は自分所有の土地があってのものだから何か生活に支障が生じたとき、簡単に土地を売って、さあどこかに引越しってわけにもいかないだろう。

だから自由を望みながらもその場所に固定されてしまうリスクがあって、逆に不自由にさえ思える。もちろんそういったリスクや不便さを計算した上での決断なのだろう。

ただ彼らの既成概念にとらわれない生き方にある種の憧れも感じている。だからこれから先も応援したい。もしこの先に失敗するようなことがあっても、また新たなライフスタイルが生まれると信じている。

関連記事:ちょっと待てその小屋暮らし計画

方丈庵の非定住性

田舎暮らしや狭小住宅に関してネットを検索していると、「方丈庵」というのが目に入ってくる。その家が分解と組み立てが可能で、牛車を使って移動できると知って驚いた。それって鎌倉時代のテントじゃないかと思ったが、鴨長明は晩年までその家で暮らしたらしいので、れっきとした住居だと言える。

鎌倉時代に移動可能な住居って斬新すぎて言葉にならない。モンゴルの遊牧民が使うゲルもあるけれど、日本は農耕民族なので、生活の拠点を家ごと移動するなんて考えはなかったはずだ。

方丈庵は約9平米の大きさなのでおよそ六畳になる。当時の一般的な一人暮らしだとこんなものなのかと思うが、筆と琵琶を携えて家ごと引越していた事にロマンを感じる。

私の故郷は沖縄で、日本に帰国するときは沖縄に住むのか、あるいは妻の福岡に帰るのかと考えると少し気が重くなる。故郷に帰ったからといって、うまく生活できるかどうかなんて分からない。

どこか特定の場所に家を構えてしまったら、そんな簡単には引越しできない。だから移動式の家があれば便利ではあるが、現代は土地所有権の問題もあるからそんな簡単にはいかない。もし鴨長明のように気ままに住居を移動できる環境があるのなら理想である。

家や土地に縛られない生き方

もうここまで考えれば、日本に帰るときの住まいは賃貸で十分という結論になる。小屋暮らしは普通に考えて厳しい。

福岡か沖縄にアパートを借りて住んでみて、そこに定住できるかどうかを判断すれば良い訳で、ダメなら契約が済んだ時点であらたな居場所を探せばよい。例えば一生に一度は雪国に住んでみたいとか、歴史のある街や都会のどこかといったように、旅をするような生活ができるかもしれない。

そもそも日本を出たときから、どこかに定住するような気質をなくしてしまった気がする。私の人生の中で最も長く住んでいるこの土地でさえ、これから先もずっと住むとは想像できない。

人口減少と空き家増加のこれから

賃貸派か持ち家派かと聞かれたら、私は賃貸派という事になる。家を買ってしまっていながら賃貸派というのも変な話であるが、総合的に判断してそうなる。でも最後は自分で納得できる場所を見つけて、小さな家を持ちたいと支離滅裂な思考も持ち合わせている。

現在、日本の田舎の物件はかなり安くなっている。地方都市でも地場産業の大きな雇用が失われた地域も安い。ヘタに地方のマンションを買ってしまったら、不良資産を持つようなものだと新聞のコラムで読んだ事がある。

だからお買い得だからと飛びついたりしたらババを引いてしまう気がする。安いって事は需要が少ないわけだから、売ろうと思ってもなかなか売れないだろう。例えば公務員のようにその土地でずっと暮らせるようなめどがあればより取りみどりではあるけれど、普通の会社員や自営業者だと何があるか分からない。

世の中は常に流動的で予測できない。自分の国に帰って住むという単純な事さえ思うようにはいかない歯がゆさ感じている。

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