子供のころ初めて自転車に乗れた日のことを時々思い出す。

その日、自転車の後ろをささえてくれていたはずの兄が、遠くから「ハンドル切れー」と叫んでいる。いつの間にか一人で走っていたのだ。やったと喜ぶ間もなく目の前にコンクリートの壁が迫ってくる。

「曲がれー」横で友達の声がする。誰にだろう「ブレーキだー」なんて声も聞こえてくる。

自転車をこぐことは知っていても、曲がったこともなければペダルブレーキなんて掛けたこともなかった。「ガッシャーン」壁の手前の花壇に乗り上げたので激突することはなかった。

怪我はたいしたことなかった筈だが、そのあとの事はよくおぼえていない。きっとそれでよかったのだろう。なぜならいつの間にか自由に乗れるようになり、子供なりの行動範囲と時間の流れが変わった。

そのときから自転車はただの遊び道具ではなく、どこか遠くに行くための乗り物になった。友達の家へ行き、街中を走り回り、丘を越えてただ海を見に出かけた。

中学になると、いつか沖縄を出て北海道の一番てっぺんまで行きたいと思うようになった。

あの日、無責任にも自転車から手を離した兄は、マフラーが四つもある大きなバイクをまるで自分の手足のように操る人だった。その影響もあったのだろう。さほど運動神経のよくなかった私は高校生になって80ccの小さなバイクを手に入れた。少年なりの世界観はそれだけで北の大地へ広がっていく。

それから4年後、アルバイトをしながら旅行資金をため、250の中古バイクにまたがり、大分から北海道の宗谷岬を目指した。ワンゲル部の合宿とも重なっていたので神戸までフェリーに乗り、そこから名古屋にいる友達にバイクをあずけ、朝日連峰と北アルプスに登ったあと北海道へ向かった。いま考えるとなぜそんな支離滅裂な計画をしたのかと、あの頃の自分に問い詰めたい。

結局、いつ帰ると決めない旅は一ヶ月ほどだっただろうか。念願の宗谷岬は、勝手に想像していた断崖絶壁ではなくどこにでもあるような海岸だった。それでも生まれた土地を離れて最果ての地にやってきた達成感はあったと思う。旅先でのトラブルや出会いもとても楽しい思い出になった。

でも、一人旅の夕暮れはいつも切なく寂しいものだった。

山に登っている間は、テントを張る場所が決まっているのである意味寝床の心配はしなくていい。しかしツーリングとなるとどこかの駅の待合室か、まるでノラ猫のように木の陰で夜を明かした。そんなどこにでもありそうな場所を見つけるだけでも、日が傾いてくると気持ちが焦ってくるのだ。

陽射しが消えていく国道を走りながら、あの橋の下はどうだろうか、どこか公園でもあればいいのにと道の両脇に目を凝らす。その向こうに灯かりのもれる家があったりすると、自分には帰る場所がないのだと言葉にできない孤独に押しつぶれそうになる。

決して旅なれていないこともなかったと思う。朝になってストーブに火をつけて簡単な朝ごはんを済ませば、さて今日はどこまで走ろうか、どんな景色に出会えるだろうかと元気を取り戻している。

小樽を離れるフェリーの中で、自分にとって少し長すぎた旅をふり返り、移動するだけが目的の旅はやめようと思った。見知らぬ景色には出会いたいさ、でも少しの時間でいいからその土地の人になりたい。そんな思いがぼんやりと浮かんでいた。

それから数年後、アメリカに渡ることになるなんて想像もしていなかった。二年だけのつもりだったこの旅はいつまで続くのだろう。